8・15 日記 2010年08月15日 8月15日。ついにこの日がやってきた。今日は俗に言う終戦記念日という。幼少の頃から思ってきたことがある。終戦記念日と呼ぶ事はいいことなのだろうか、と。記念日という言葉はその日にいいことがあってそれを未来永劫まで残そう、というプラスの意味を持つものだと思っている。確かに戦争が終わって平和な国になった事を祝う、ということは悪い事ではないと思う。実際僕もこの日本に生まれてよかったと思っている。ただ、日本は戦争が終わって平和かもしれないが、朝鮮半島では戦争が起こっているし、ベトナムでも戦争はあった。そう考えると外国から見た日本は「平和で良いな。」と思われるかもしれないし逆に「平和に暮らしやがって」という憎しみの目で見られることもあるかもしれない。日本では終戦記念日というが韓国では光復節として祝う。北朝鮮でも祖国解放記念日とされている。両方日本からの解放を祝っているのだ。だから当時日本の植民地化に置かれていた国々は8月15日を反日の日としていてもなんら不思議はない。とは言っても世界中の国が戦争を好きでやっているわけじゃない。思想の違い、民族の違い、etc...様々な原因がある。それこそ共産主義と資本主義の争い、宗教対立は急に世界が大きくなってしまい人間がその変化に耐えられず起こってしまったものなのではないかと思います。確かに世界が一つの思想でまとまっていればいろいろと便利にはなるでしょう。ただそれはつまらない事だと思う。それこそ「個性」がない状態だし・・・話が逸れそうなので元に戻します。「戦争」というものは酷いものです。もちろん本物の現場を直接見たわけではありません。ただでさえ世界の流れはエログロを規制する方向に進んでいるため、ただテレビを見ているだけでは本当の戦争の恐ろしさは分からないでしょう。高一の時に世界史の授業でNHKの「映像の世紀」というものを観ました。ホロコースト。恐ろしいものです。アウシュビッツでは毒ガスをかけて殺したり、後は飢えた人が他人の尻に噛み付いたまま絶命している。そんなシーンがありました。正直に人間が餓死するとこうなるのかと始めて知りました。アレは本当にショックでした。昨日ネットサーフィンしていたらあるサイトにたどり着きました。そこではPOSO紛争の動画がありました。少なくとも面白半分で見てはいけないと思います。戦争の酷さを見る覚悟のある人だけが見てください。エログロ規制というものに関して僕は若干の違和感を覚えます。確かに猟奇殺人のシーンなんかを見て「自分もやってみたい」と思ったりする人間がいると思うのでそこに関しては賛成です。ただ、戦争の恐ろしさ等を伝えるためにそういう画像、映像の規制はしてはいけないと思います。戦争の本当の姿を見せてこその「反戦」なのではないでしょうか?少なくとも戦争の真実を知らずして日本人に非ずです。流石にposoを見ろとは言いませんが、原爆の記念館やそういった戦争に関する所には嫌でも足を運ぶべきだと思います。ヒロシマの悲劇を繰り返さぬように。かく言う僕も広島に行って戦争の恐ろしさを知った人間ですが。原爆の熱は本当に人を「蒸発」させてしまうんです。驚きました。とりあえずはこの辺で。(だいぶ長くなりましたね) PR